- 2009-07-03
- 幕末・歴史
好きな歴史の話題が多くて恐縮ですが、京都・近江屋と聞いてぱっとイメージが浮かぶのは、かなり幕末に詳しい方だと思います。数日前、京都新聞にこんなニュースが出ていました。
龍馬襲撃の「近江屋」跡に案内板 地元商店街振興組合が寄贈
京都には坂本龍馬ゆかりの幕末史跡がたくさん残っていますが、寺田屋と近江屋、それに先日書いた新選組襲撃事件の池田屋あたりは割と混同されることがあります。寺田屋は京都駅の南方、いまの伏見区にあった旅籠で、薩摩藩士などの定宿として使われていました。本来仲間であるはずの薩摩藩士数名がちょっとした思想の違いやタイミングの悪さから互いに殺しあった悲劇の舞台であり、また薩長同盟が成立した直後、伏見奉行所の捕り方らが龍馬を襲撃した場所でもあります。寺田屋事件の際は、後に妻となるお龍の機転などで逃走に成功し九死に一生を得る龍馬ですが、その約1年後、見廻組の佐々木只三郎らに襲撃されて命を落としたのがこの近江屋(実行犯に関しては諸説あり)。
いまも建物の跡が残る寺田屋に対し(移築説などありますが割愛)、醤油屋を営んでいた近江屋は姿を消し、現在は旅行代理店が営業しています。繁華な河原町通りに面している割に石碑が残るだけでひっそりと目立たない印象でしたが、今回の地元商店街の尽力でいくらか名所っぽくなった気がします。私も感謝に堪えません。こうした歴史名所を忘れ去ることなく、これからも後世にきちんと伝えていきたいものです。(八)
↑以前の近江屋跡。あまりにも目立たないので、カメラを構えていると通りをゆく人々が何事かと振り返っていた。
龍馬襲撃の「近江屋」跡に案内板 地元商店街振興組合が寄贈
京都には坂本龍馬ゆかりの幕末史跡がたくさん残っていますが、寺田屋と近江屋、それに先日書いた新選組襲撃事件の池田屋あたりは割と混同されることがあります。寺田屋は京都駅の南方、いまの伏見区にあった旅籠で、薩摩藩士などの定宿として使われていました。本来仲間であるはずの薩摩藩士数名がちょっとした思想の違いやタイミングの悪さから互いに殺しあった悲劇の舞台であり、また薩長同盟が成立した直後、伏見奉行所の捕り方らが龍馬を襲撃した場所でもあります。寺田屋事件の際は、後に妻となるお龍の機転などで逃走に成功し九死に一生を得る龍馬ですが、その約1年後、見廻組の佐々木只三郎らに襲撃されて命を落としたのがこの近江屋(実行犯に関しては諸説あり)。
いまも建物の跡が残る寺田屋に対し(移築説などありますが割愛)、醤油屋を営んでいた近江屋は姿を消し、現在は旅行代理店が営業しています。繁華な河原町通りに面している割に石碑が残るだけでひっそりと目立たない印象でしたが、今回の地元商店街の尽力でいくらか名所っぽくなった気がします。私も感謝に堪えません。こうした歴史名所を忘れ去ることなく、これからも後世にきちんと伝えていきたいものです。(八)
↑以前の近江屋跡。あまりにも目立たないので、カメラを構えていると通りをゆく人々が何事かと振り返っていた。
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